辺見庸の同名小説「月」が実際の障がい者殺傷事件を基に映画化されました。
監督は石井裕也で、以前には「アジアの天使」(2021)や「舟を編む」(2013)などを手がけています。
物語は重度障がい者施設で働く堂島洋子を中心に展開し、洋子が他の職員による入所者への不適切な扱いや暴力を目撃し、さらに施設内で驚くべき出来事が起こります。
主演は宮沢りえが洋子役、二階堂ふみが同僚の陽子役、オダギリジョーが洋子の夫、そして磯村勇斗が介護職員の“さとくん”を演じました。
映画『月』は2023年10月13日より全国公開されました。
本記事では、月のネタバレを含んだ感想を紹介していきます。
月のあらすじ
深い森の奥にひっそり佇む施設で働く新人、堂島洋子(宮沢りえ)。
彼女は以前は有名な作家でしたが、“書けなくなった”過去を抱えています。
夫の昌平(オダギリジョー)とともに控えめな生活を営んでいます。
施設での仕事仲間には作家を目指す陽子(二階堂ふみ)や、絵が好きな“さとくん”(磯村勇斗)などがいます。
また、同じ生年月日の入所者“きーちゃん”との出会いがあり、洋子はその状況に共感し、親身になって接していきます。
しかし、この施設は決して楽園ではなく、洋子は他の職員による入所者への非人道的な扱いや暴力に遭遇し、心を痛めます。
特に“さとくん”は、理不尽な状況に憤りを募らせ、怒りが頭角を現していくのを感じます。
そして、ついに訪れたある日…
月のネタバレ
出典:「月」公式>>
洋子が施設の内情を徐々に理解し、小説家を目指す坪内と親しくなりました。
坪内は小説の才能に悩み、酔っ払って洋子の作品が真実でないと非難します。
一方、優しいサトくんは障害者に紙芝居を作りながら、接するうちに精神的に不安定になります。
同じく悩む洋子は40代での妊娠にリスクを感じ、障害を持つ子供への不安に苦しみます。
ある日、洋子はサトくんの奇妙な挙動に気づき、彼に対話します。
サトくんは障害者を殺すべきだと告白し、彼らは会話や感情を持たないため無駄な存在だと主張します。
この考えは、同じく障害を持つ子供への中絶を検討する洋子と共通していると指摘されます。
サトくんが犯行予告の手紙を送り、捕まり精神病院へ。
数週間後、退院後に施設に侵入し、障害者を次々に殺します。
同時に、昌平の制作した短編映画がフランス映画祭で認められ、受賞。洋子と昌平は子供を授かることを決意します。
出典:「月」公式>>
しかし、サトくんの事件がニュースで報じられ、喜びも影を落とします。
サトくんの主張に反し、障害者は重要な存在で、映画では子供を失った母親の悲しみも描かれ、存在だけでも他に力を与えることがあるでしょう。
ただし、映画は社会における障害者差別や低賃金の現実にも注意喚起し、変革の必要性を訴えています。
同時に、堕胎を認める社会に向けて、「サトくんを説得できる言葉があるか?」と問いかけています。
サトくんの主張は、実際に相模原の障害施設で連続殺人を行った植松聖のものとも共通しています。
植松は裁判で、人間でないものを殺したため殺人に当たらないと主張しました。
この世に神が存在するなら、なぜ障害を持った人が生まれてくるのか。
出典:「月」公式>>
罪を犯した者が罰せられることは理解できますが、先天的な障害は罪のない人が生まれた瞬間に罰せられるのと同じではないでしょうか。
もちろん、この考えは機械仕掛けの神様が報いと罰を与えることを望んでいるだけであり、神の真意は分からない。
それでも、この理不尽な世界で希望を抱いて生き抜くしかありません。
この作品は様々な考えを呼び起こすもので、今年の日本アカデミー賞では是枝監督の「怪物」が注目されていましたが、「月」も受賞の可能性が浮上しています。
少なくともノミネートは確実だと考えられます。
月の感想
“終盤の磯村勇斗と宮沢りえの対話は非常に印象的で、特に他人を介して自己に向けられる洋子の心情が強烈に描かれました。
さとくんを否定できないことが自己否定に繋がる状況や、さとくんの言葉が鑑賞者に直に訴えかける手法は興味深かったです。
施設入りのシーンは多少作為的に感じる一方で、洋子の不気味さを感じた観客にはリアリティがありました。
さとくんの「障害者を見て気味が悪いと思わなかったか?」という言葉から始まり、嘘に纏わる展開は緊迫感溢れ、最終的には嘘が最後の手段ではなくなる点が印象深かったです。”
“予告で鎌が登場して気になっていました。
しかし、調べてみると実際の凶器は柳刃包丁やペティナイフであり、鎌に関する情報は見当たりませんでした。
作品はさとくんの政治活動や精神病院入院など実際の事実に忠実に描かれている中、なぜ凶器に関しては事実と異なる描写があったのか疑問に感じました。
結末を知って納得しました。鎌が登場した意味が明らかになりました。月(三日月)は作品内でしばしば「救い」の象徴として現れます。
障害者が殺される際に浮かび上がる鎌は、その目の前で生死や解放といった二面性を持ち、観る者によって異なる捉え方ができると感じました。 ”
“ 後半の2人の対話シーンは非常に強烈でした。
「気持ち悪いと思ったことはないか?」を考えると、気づかぬうちに避けていたり、気持ち悪くないと信じ込んでいる自分がいることに戸惑いを感じ、ドキッとしました。
リスクを冒さずに綺麗ごとを言うことは、善の立場からでもずるいと感じます。
現場は過酷で、それを見ていない者が批判するのは適切ではなく、もし自分がその立場ならばさとくんのような考え方になる可能性もあるかもしれません。
ただ、将来障害者と関わることはないだろうと思っており、施設で働く意欲もありません。
さとくんの行為は許されないものですが、その考えが偽善的である自覚を持つことが、自分にできる唯一のことだと感じました。 ”
“ さとくんは20人以上を殺め、心の有無を問い、無反応ならば彼らはこの世に不要と判断していました。
この基準や扱いについては別にして、自分と同じく健常者か異なる障害者かを線引きする考えに共感しました。
障害者もみな等しく人間だという意見がある一方で、動物的な部分で区別をつけてしまい、頭で理解していても自分の身体がその意見を受け入れないことに気づきます。
最近の風潮では、お互いのために区別せず、差別をしない社会を目指そうとする動きがあり、それが良い方向に進んでいるのではないかと思います。
障害者に対する認識はある程度あり、理解したつもりでも、実際には忌避して考えないようにしている部分があることに気づきます。
自分にそういう傾向があることは理解しているものの、本当に理解するためには自分が当事者になることが難しいだろうと感じます。
さらに、この映画でさえも、当事者の人たちにとっては浅い描写かもしれません。
平日の朝から非常に重い内容でした。
また、磯村勇斗はこうした重い映画に本当に似合う俳優だと感じました。 ”
まとめ
https://twitter.com/oHLeiqANE8fT9Ck/status/1733046331281994216?t=HTAu8XkudR5N1hMVWJgRYQ&s=19以上、辺見庸の小説『月』を実際の事件を基に映画化した作品についてのネタバレを含んだ感想を紹介しました。
2023年10月13日に公開されて大ヒットしている本作品は「何者を“人間”と呼ぶのか」という普遍的な問いに焦点を当て、人々の心に潜む優越感や差別感を鮮やかに描き出しています。
冷たく輝く夜空の中で繰り広げられる物語は、月が邪悪な感情を引き出すかのような印象を与えます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
出典:「月」公式>>
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