エッセイスト、絵本作家、作家、株式会社ねぎし事務所代表取締役の海老名香葉子(えびなかよこ)さん。
初代林家三平の妻として、夫の死後も一門の中心として活動する一方、幼い頃に戦争孤児となったことをきっかけに、今もなお、憲法9条改正など平和活動にその人生を掲げています。
そんな海老名香葉子さんは現在何をしているのでしょうか?
また、落語家や芸能人がいる海老名香葉子さんの家族構成なども紹介します。
それでは最後までお読みください(^▽^)/
海老名香葉子プロフィール
東京大空襲で孤児に 大使館から海老名さんに届いた手紙https://t.co/oEtpFRjfcr
東京大空襲で家族6人を失い、孤児となった作家の海老名香葉子さんのもとに、米国大使館の臨時代理大使から手紙が届きました。
海老名さんの慰霊の活動についての謝辞とともに、日米の友情に触れられていました。 pic.twitter.com/IHOWyIJQMG— 朝日新聞デジタル (@asahicom) March 10, 2021
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- 生誕: 1933年10月6日(90歳)
- 配偶者: 初代林家三平(1952年-1980年)
- 子供:長男・九代目林家正蔵、次男・ニ代林家三平、長女・海老名美どり、次女・泰葉
- 父:中根音吉
- 孫:林家たま平、林家ぽん平、下嶋兄、
- 兄:中根喜三郎
東京府東京市本所区竪川町(現・東京都墨田区立川3丁目)、釣り竿の名匠「竿忠」に生まれる。
第二次世界大戦中、静岡県沼津市の叔母宅に疎開した。
当時は国民学校の5年生だったが、その最中に起きた東京大空襲で、父である竿忠の3代目・音吉のほか、母・祖母・長兄・次兄・弟の家族6人を亡くす。
唯一生き残った三兄の喜三郎が4日後、ボロボロの姿で訪ねてきて「みんな死んじゃった。守れなかった。」と何度も泣きながら伝えられ、家族の死を知った。
身寄りを亡くしたため、終戦後は親戚をたらい回しにされるが、釣り好きの三遊亭金馬の寄せを見に行った際に、『竿忠の娘が生きていた!うちの子におなり』と即日引き取られ、後に一緒に家を出入りしていた初代・林家三平さんと1952年に結婚しました。
結婚から2か月程経過した頃に夫・三平が体調を崩し、同時期に長女・海老名美どりを妊娠していることが判明する。
長女の他、次女・泰葉、長男・泰孝(九代目林家正蔵、前名:こぶ平)、次男・泰助(二代目林家三平、前名:いっ平)と、4人の子供をもうけ、林家たま平(正蔵の長男・泰良)、林家ぽん平(正蔵の次男・泰宏)、下嶋兄ら6人の孫にも恵まれた。
しかし1980年、夫・三平が肝臓がんにより死去。
この時、泰孝は「林家こぶ平」として父・三平の門下となっていたが、泰助はまだ小学4年生であった。
以後は惣領弟子で一門を引き継ぐ形となったこん平を支え、自らも一門の精神的支柱となり、通常は師匠の死去に伴い一門は解散となる落語界にあって、今日に至るまで一門存続を可能ならしめている。
なお、林家たい平がこん平に弟子入りを希望した際も、正式に弟子入りをするまでの間、こん平はたい平に対して香葉子の自宅での住み込み修行をさせている。
長年、家族・一門のマネジメントを行う個人経営の「ねぎし事務所」があり、夫の死後は先頭に立ってその運営を担っていた。
2007年には法人化され、代表取締役となった。
また、高齢となった近年は長男・泰孝(九代目正蔵)の妻である有希子に一門のおかみさんとしての実務を任せ、自らは積極的にメディア出演を行っている。
海老名香葉子の父親
海老名香葉子さんの父親は、釣り竿職人の名匠「竿忠」三代目の忠吉さん。
幼くして戦争孤児となってしまった海老名香葉子さんの記憶には、父親からの手紙を大事にしていたというエピソードが代表的です。
疎開中にもらった手紙には「淋しくなったら、東京の空に向かって『父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん』って3回呼んでごらん」と書いてあり、親戚の家でつらいときも、その手紙だけが頼りでした
戦争疎開として親戚にたらい回しにあっていたという海老名香葉子さんですが、父親にない寂しさが伝わります。
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]優しい父親だったのですね[/word_balloon]
海老名香葉子の母親
海老名香葉子さんの母親はよしさんです。
東京大空襲による火事の中、母は小さい弟を背負って逃げたそうです。
しかし、祖母・両親・4人の兄弟たちはみな、海老名香葉子さんと兄1人を残して、遺骨も見つからずに戦争の犠牲となっています。
海老名香葉子さんが、親戚の家へ疎開に行く際に以下のように励まされていたようです。
出発の時、母は私を抱きしめて何度も言いました。「かよちゃんは強い子よ。いつもニコニコしてなさいね。笑顔でいれば、みんなに好かれるし、友だちもいっぱいできるわよ」
海老名香葉子さんは今でも当時の思いを胸に平和活動に従事しています。
[word_balloon id=”2″ size=”M” position=”R” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]戦争の記憶は今なお残っているのですね[/word_balloon]
海老名香葉子の兄弟
兄弟は、海老名香葉子さん含め5人兄妹でした。
4人の兄弟たちは、海老名香葉子さんと兄1人を残して戦争で亡くなられています。
戦争を潜り抜けた兄の中根喜三郎さんは父同様、釣り竿職人の道に進み、1974年に5世4代目竿忠を襲名しました。
しかし、後継ぎがいないそうなので、「竿忠」も最後のようです。
海老名香葉子の夫
1980年9月20日 初代 林家 三平(はやしや・さんぺい)【落語家】
法名『志道院釋誠泰』
享年54#林家三平#根岸pic.twitter.com/cXNPySYRwm— 命日bot (@meinichi_bot1) September 19, 2023
海老名香葉子さんの夫は、お茶の間をいつだって笑いに変え続けてきた昭和の爆笑王言われている初代・林家三平さんです。
海老名香葉子さんは、父の知人で釣り好きで知られた3代目三遊亭金馬に引き取られる。
金馬家に七代目林家正蔵の妻が出入りしていた関係から、1952年 その実子であった初代三平と結婚し、以後三平の芸能生活を陰からサポートしていました。
初代・林家三平さんは1980年、50歳に膵臓がんで亡くなりました。
三平さんの死後も、海老名香葉子さんは林家一門を支え続け、いつでも笑顔の絶えない家庭を築いてきました。
初代林家三平さんの死後も、おかみさんとして林家一門を支えてきたことから、親しみを込めて、たくさんの方から「おかみさん」と呼ばれています。
海老名香葉子の子ども
林家三平さん家族団らん(^o^;) pic.twitter.com/eIdja3VVPr
— トウキョウAA909 (@tokyoaa909) January 29, 2023
- 長男:九代目・林家正蔵(本名:海老名泰孝やすたか)
- 妻は海老名有希子
- 次男:二代目・林家三平(本名:海老名泰助たいすけ)
- 妻は国分佐智子
- 長女:海老名美どり
- 夫:峰竜太
- 次女:泰葉
- 元夫:春風亭小朝
- 孫:林家たま平、林家ぽん平、下嶋兄、
父の三平さんの死後、長男の康孝さんは「林家こぶ平」として父・三平さんの門下となっていましたが、次男の泰助さんはまだ小学4年生でした。
長男の康孝さんは2005年に九代目・林家正蔵を襲名し、次男の泰助さんは2009年に父の名跡、二代目・林家三平の襲名に至りました。
長女・美どりさんは元女優で、タレントの峰竜太さんが夫であることが知られています。
次女・泰葉さんは歌手として名を馳せましたが、2021年に自身の公式ブログにて双極性障害であることを告白し、療養しています。
海老名香葉子は現在何してる?経歴や家族構成まとめ
今回の記事では、海老名香葉子は現在何してる?経歴や家族構成について紹介しました。
エッセイスト、絵本作家、作家、株式会社ねぎし事務所代表取締役の海老名香葉子(えびなかよこ)さん。
初代林家三平の妻として、夫の死後も一門の中心として活動する一方、幼い頃に戦争孤児となったことをきっかけに、今もなお、憲法9条改正など平和活動にその人生を掲げています。
これからもますますお元気で長生きしてください。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました^^
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