映画『四月になれば彼女は』は、ベストセラー作家で映画プロデューサーの川村元気氏によって原作が執筆されました。
川村氏の代表作には『世界から猫が消えたなら』、『電車男』、『おおかみこどもの雨と雪』、『君の名は』などがあります。
ご覧になられた方は、ラストの意味や考察などが気になっているのではないでしょうか。
この記事では、映画『四月になれば彼女は』のラストの意味や考察、原作との相違点、そして主人公のヒロインについて考察していますので、ぜひ最後までお読みください(^▽^)/
四月になれば彼女はの見どころ
この映画の長編監督デビューを果たしたのは、多くのミュージックビデオを手掛けてきた山田智和監督です。
主人公の藤代を演じるのは、過去に『世界から猫が消えたなら』(2016)や『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(2017)で見事なラブロマンスを演じた佐藤健。
アクションシーンが少ないとはいえ、彼の演技力で主人公の複雑な恋心がどのように表現されるか、期待が高まります。
藤代の現在の婚約者である弥生役には長澤まさみ、元カノの春役には森七菜が起用されました。
彼ら実力派の俳優陣が、作品にさらなる魅力を加えています。
四月になれば彼女はのあらすじ
精神科医の藤代に、かつての恋人である春から久しぶりの手紙が届いた。
「9年ぶりです。何か伝えたいことがあって、手紙を書いています。」という手紙には、ボリビアのウユニという街の風景が綴られていた。しかし、春の本当の気持ちはよくわからなかった。
藤代は現在、婚約者の弥生との結婚を控えており、「また手紙を書きます」という春の言葉に、少し戸惑いながらも「いまさら……」と感じながら手紙を読み終えた。
藤代と春は大学時代に出会い、恋に落ちる。
しかし、春のかつての恋人が自殺未遂を起こし、二人の関係は終わりを迎える。
事件のあったホテルでは、大島の妻が「何度かこういうことをしていますから、どうか気にしないでください」と告げ、藤代と春は戸惑いを感じた。
大島と春の間に何があったのかは不明だが、大島の妻は全てを知っているようで、彼女は二人を病室に入れなかった。
藤代と春が病院の前でバスを待っていると、大島の足音が聞こえてきた。
大島が病院から駆け出し、「春ちゃん!」と叫ぶ。
春は病院を飛び出し、大雨の中を走り去った。
藤代はパーカーのフードをかぶり、春を追いかける。
春が遠くの歩道橋から藤代を見ている。藤代はただ呆然と春を見つめるだけだった。
その日を境に、藤代と春は連絡を取らなくなり、お互いの家にも行かなくなった。
春からは一度だけ「最後に会いたい」というメッセージが届き、しかし藤代はそれに応えることができなかった。
9年後、藤代は精神科医となり、婚約者の弥生と暮らしている。
弥生との関係は安定しているが、藤代の心は春の手紙で揺れ動く。
結婚式が近づく12月、弥生が突然家を飛び出した。彼女の行方は全く分からず、実家や妹のもとにもいない。
ある日、家で映画を観ていると、弥生が泣いていた。
その理由を藤代は知らない。
ただ、弥生の涙が溢れる姿を見て、彼は言葉を失った。
「藤代くんは、まるで幸せじゃないみたい」という弥生の言葉が、藤代の心に響いた。
四月になれば彼女はのラストの意味・考察
四月になれば彼女はのラストについての意味・考察 をしていきます。
ラストの意味1:俊が弥生を迎えに行くシーン
「愛を終わらせない方法、それは何でしょうか?」
ウユニの病院でハルが亡くなった後の出来事。
弥生がお部屋の整理をしていると、ハルが俊宛てに書いた手紙を見つけました。
出せないままの手紙です。
弥生は代わりにそれを出してあげ、日本で、 俊はその手紙を受け取ります。
手紙の中には現像前のフィルムが入っていました。
現像された後、その中には 「弥生の笑顔」 が映っており、これにより、 俊は弥生の居場所を知ることができました。
そして手紙の内容を読んで気づき、俊は 「愛を終わらせない方法」 を問われた理由について気づくことができました。
ラストの意味2:最後の会話のシーン
俊:「キリンの睡眠は1日20分だよね。ゴリラのゲップは挨拶で、カバの汗は赤くて・・・」
弥生:「よく調べたね。」
この会話は何を意味しているのでしょうか?
中盤に、俊が弥生に「キリンは1日に何時間寝るの?」と聞くシーンがありますね。
弥生に「本当に興味ある?」と返されています。
弥生は俊の心がここにあらずということを見抜いていたのです。
弥生失踪後、俊は自ら動物の生体について色々と調べました。
これまで上の空だったけれど、心から寄り添ったということなのです。
俊が変わったことを伝えています。
『四月になれば彼女は』のヒロインについての考察
この作品では、Wヒロインが登場します。
Wヒロインとは、物語の主人公に対して二人のメインヒロインが存在することを指します。
そのうちの一人がハルです。
ハルは俊の元カノであり、もし生存していれば物語のもう一つの中心人物となるでしょう。
しかし、彼女は病死しています。
それでも、彼女は物語の中で重要な位置を占めており、悲劇的なヒロインとして描かれています。
彼女と俊との恋愛エピソードも丁寧に描かれ、彼女の出演時間も多いです。
また、物語の主軸となるのがハルが出した手紙です。
さらに、彼女の名前「春(ハル)」は、作品のタイトルである『四月になれば彼女は』とリンクしています。
これらの理由から、ハルもまたヒロインと言えるでしょう。
したがって、この作品におけるWヒロインは弥生とハルとなります。
四月になれば彼女はの原作との違い
映画『四月になれば彼女は』は、ベストセラー作家で映画プロデューサーの川村元気氏によって原作が執筆されました。
そこで、四月になれば彼女はの原作との違い について紹介します。
原作との違い1:俊とハルが別れた理由
俊とハルが別れた理由が異なります。
映画では、「ハルの父親の存在」が原因でした。
父親が外国旅行を許可しなかったからです。
原作小説では、「写真部のOB・大島の存在」が原因でした。
ハルと俊が付き合っている間に、ハルと大島が2人で会ってしまい、気まずくなり自然消滅してしまいます。
“俊が、離れていくハルを追いかけなかった”という点では同じです。
原作との違い2:ハルと弥生の絡み
ハルと弥生の絡みが異なります。
映画では、ハルと弥生の直接的な関係が描かれています。
一方、原作小説では、ハルと弥生の直接のやりとりは明示されていません。
映画が原作小説で省かれた部分を補完する役割を果たしていると考えられます。
原作との違い3:純の性格
弥生の妹である純の性格が異なります。
映画では、純は姉想いであるように描かれています。
純は俊が弥生を探そうとしないことに対して非難する態度を見せ、そのために姉想いな印象が与えられます。
一方、原作小説では、純の性格は問題があります。
純は既婚者でありながら、セックスフレンドが2~3人おり、頻繁に入れ替わります。
さらに、ハルに対しても誘惑的な態度をとります。
四月になれば彼女はのラストの意味や考察|原作との違いまとめ
以上、四月になれば彼女はのラスト意味や考察、原作との違いも解説しました。
いかがでしたでしょうか。
元カレから届いた手紙がきっかけで、現在と過去、国内と海外が交錯する物語が始まります。
映画では、米津玄師の「Lemon」など多くのミュージックビデオを手掛けてきた山田智和が初の長編映画監督を務め、『新聞記者』の今村圭佑が撮影監督、『キリエのうた』(2023)の小林武史が音楽を担当します。
また、ラストの意味は原作との違い、考察を理解してからもう一度ご覧になるとより理解が深まるかもしれません。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました^^
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